■ 難易度の高い「察し」のコミュニケーションスタイルとは
高难度的“体察”型交流方式究竟是什么呢
コミュニケーションを研究している筆者が一番に思いついた理由は、日本独自のハイコンテクスト文化、いわゆる「察し」のコミュニケーションスタイルです。説明するより早いと思いますので、いくつか例を挙げてみます。
研究沟通交流的笔者首先浮现在出来的理由是,日本独特的察言观色文化,也就是所谓的“体察”型沟通交流。因为比起说明的方式更加快捷,于是试着举了一些例子。
例1)
「今日一杯どう?」…… 今日飲みに行きませんか
“今天去喝一杯怎么样?”------ 今天不去喝一杯吗
「月末はちょっと」…… 月末なので(忙しいorお金がない)行けません
“月末的话稍微有点”------因为是月末(忙or 没有钱了)所以就不去了
例2)
「じゃあ勝手にしろ!」…… あなたの主張は許容できません
“那就随便你好了!”------不容许你自作主张
「……(怒っているからやめておこう)」
“------(因为对方生气了,所以还是算了吧)”
例3)
「明日締切だから集中したいんだよね」…… 明日締切なので集中する必要があります。テレビを消してもらえますか
“明天是截止日期了我想专心一点呢”------明天就是截止日期了必须要专心才行。能关掉电视吗
「ごめん、テレビ消すね」
“抱歉,我把电视关了。”
日本人なら不思議に感じないこれらの会話も、比較的ストレートでわかりやすい表現を使う傾向がある国(スイス、ドイツ、アメリカなど)の人が聞いたら困惑するかも知れません
如果是日本人的话并不会觉得这些对话不可思议,可相比起来,会使用比较直白易懂的表达方式的国家(瑞士,德国,美国等)的人听到恐怕会觉得很困惑吧。
意思疎通ができてくると、コミュニケーションに割く時間を減らすために、簡易的なやりとりをするようになるのはどの国でもある現象だと思います。ですが日本は諸外国に比べて、実際に交わすメッセージよりも「場面」「状況」「文脈」といったことを重視する傾向が強いと言われています。おのずと省略される要素も増えます。ここにハッキリさせないことを良しとする「曖昧文化」が重なるわけですから、情報を受け取る側には高い読解能力が必要になります。
如果能够心意相通,为了能够减少花在沟通交流上的时间而采用简易的交流方式这是任何一个国家都存在的现象。可是跟其他诸国比较起来日本则比起实际传递的消息,对“场面”“状况”“文脉”等有更为注重的倾向。自然的被省略的要素也就越来越多。因为是不要明白的说出来会比较好的“暧昧文化”的重叠,所以接收信息的那一方必须要有很高的解读能力才行。
曖昧文化の例)
「検討します」…… 本当に検討する場合にも、フェイドアウトスタイルで断りたい場合にも使われる
暧昧文化的例子
“我会检讨的”------ 是真的会检讨的时候和想以渐隐的方式拒绝的时候都会使用。
これら日本流のコミュニケーションスタイルは、複数の理解ができるので戸惑う人がいるのも無理はありません。一瞬でピンとくる人は、情報の受け手としての能力が高い人。これは、必ずしも仕事がデキる人とイコールではないのですが。
这些日本式的交流方式,因为会产生各种不同的理解,所以会对此感到困惑也是理所当然的。那种直觉很准确的人的接收信息的能力也会很强。虽然接收信息的能力强并不能等同于工作能力出色。
伝えたいことをスグに理解してもらえるのは気持ちがいいものです。相手のことを高く評価したくなる気持ちもよくわかります。逆に、伝えたいことをわかってもらえないケースではストレスが溜まります。こういうときは要注意。自分の伝え方の悪さを反省するよりも、すぐにピンとこない人を「デキない人」と決めつけがちな状況だからです。
但是想要传达的东西立刻就能被对方理解是一件让人心情舒畅的事情。想要给对方高评价的心情也很能理解的。相反,如果想要传达的东西对方不能理解那就会积攒起压力。这种时候就需要注意。因为这时候比起反省自己的表达方式,更容易立刻就把对方当做“没有能力的人”。